実母による姉妹格差・姉妹差別について気になる記事を読みました。
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先日引退を発表した浅田真央さんに関連した記事で、浅田真央さんのお姉さんの浅田舞さんが、実母から姉妹を差別するような発言をされていた、というものです。
(前略)「妹に会わないで」と母親から通告された心中はいかばかりだったか。この告白に、母からの姉妹差別で苦悩したと共感の声を上げる人は少なくなかった。
「同じ姉妹なのになぜ?」と疑問を口にするが、「残酷ですが動物的行動でいうと、母親が姉妹に格差をつけて接するのはとても合理的なことなんです」と話すのは、動物行動学研究家の竹内久美子さんだ。
「“母親の愛情はきょうだいに平等に注がれる”というのは人間が作り出した幻想にすぎません。子孫を残すという生物学的な目的に照らせば、より優秀な個体が優先的に育てられるのはごく自然なこと。体力があったり、賢かったり、異性を惹きつける魅力があったりする子の養育により力を注ぐのが母親の本能なんです」(中略)「生物の目的は“一族の繁栄”ですから、平等に育てられて平均値の姉妹ができるより、片方が飛び抜けた能力を持つ方がいいんです。
http://www.news-postseven.com/archives/20170411_508710.html: 引退発表の真央 姉の「妹に会うな」告白で姉妹差別論争も
記事についての賛否は分かれるところでしょうが、確かに動物としての合理性で言えばそうなのかもしれません。
きょうだい格差、差別というと、男同士の兄弟より、姉妹のほうがなんだかえげつない印象を受けます。
きょうだいに平等に接し、平等に愛するということを心がけて子育てをしているお母さんは多いと思いますが、
同じように育てているつもりでも決して同じようには育ちません。
子どもによっても、「必要とする愛情の量」が違い、同じ量の愛を注いでも、「少しの量で満足できる子」と、「たくさんの量でないと満足できない子」といるわけです。
一卵性の双子であっても、同様のことが言えます。
以前の記事で、一卵性の双子でも性格が違うのは科学的に説明ができると書いたのですが、
同じように育てているつもりでも、全然性格は違ってきます。
我が家の一卵性の双子姉妹も、まだ1歳8カ月ですが、もうまったく性格は違います。
「いくら泣かせておいても最後に抱っこすればすぐご機嫌でケロッと忘れてくれる」子(ちゃちゃ)と、
「機嫌を損ねようものなら引きずってしまって大変」な子(ゆゆ)といます。
そうなると、もし2人が同時に泣いていて、1人しか抱っこしてあげられない状況だった場合、
ゆゆのほうが優先されることになります。
でも、ちゃちゃはその場では泣くかもしれませんが、そのことを根に持たないのです。
であれば、「同じように接することが平等とは限らない」ですし、「その子にとって必要な愛情の質・量」が満たされていれば、姉妹で同じ量である必要はないわけです。
双子を育てながら、ゆゆとちゃちゃの性格の違いにはとまどいもあります。
率直に言えば、「手のかからない方」と「手のかかる方」というわけで、
どうしても手のかかる方に構いがちで、「手のかからない子がかわいそうだ」という思いから、
「手のかかる方」へいらだちを覚えることもあります。
でもそれは、双子に限らずとも、きょうだいを育てている親は少なからず経験することで、
年齢や時期によって「手のかかる方」「手のかからない方」は入れ替わったりするのかな、とも思います。
「双子だから○○であるべき」という考え方はあまりするべきではないのかなぁなんて、
考えさせられた記事でした。
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