私の人生は今日で変わった
母に車で自宅まで送ってもらう道すがら、いろいろなことを考えました。
「私の人生は今日で変わった」、と思いました。
そんな大げさなことは今まで思ったことがありません。
お腹の子が双子(一卵性なので同性、男&男か、女&女のどちらか)と分かってから、
なぜだか「この子たちは絶対に女の子だ」という確信がありました。
(もちろん結果論になってしまいますが、実際に双子は女の子でした。)
女の子の双子に翻弄させられる将来の自分の姿が目に浮かぶようで
(双子が中学生とか高校生とかになった頃の想像です)、
なぜか、妊娠中や出産時、幼少期をすっとばして、
「思春期の双子の女の子」って、すごく扱いづらそうだなというようなことばかり頭に浮かびました。
それは親として、というよりはむしろ、「自分が双子だったら」というような想像です。
自分と同じ顔の人間がもう1人いるって、
アイデンティティクライシス起こすんじゃないか、とか。
つまり、自分が唯一無二の存在であるという絶対性の揺らぎ、
片割れがいれば自分は必要ないんじゃないか、というような気持ちにならないか心配だったのです。
妊娠したてで心配するようなことじゃないのかもしれませんが、
真っ先に浮かんだのがこんなことでした。
普通のきょうだい以上に絶対に比較されて育つわけで、それも不憫に思えました。
知り合いに一卵性の双子の人もいませんでしたし、
双子と言えばマナカナちゃん、というイメージしかなかったので、
なんだか双子って入れ替わっていたずらしたり、どっちがどっちでも同じ、というか、
2人で1人、みたいなイメージがあって、
だから自分の子どもたちは、「にこいち」ではなくて、
ひとりひとりが独立した人間として、個人を尊重して育てようと。
そんなことを考えていました。
一卵性なので、元はひとつの受精卵だったわけなので、
なんだか元をたどれば1人なんじゃないかと、そんな風に思っていたのですが、
双子が1歳半近くになった今となっては、これはとんだ誤解で、
一卵性の双子だってまったく性格が違って、
全然違う1人ずつの人間なんだということはよくわかるのですが。
お腹の子ども「たち」が双子と分かってからは、
1か月近く毎日起きるたびにびっくりしていたのを覚えています(笑)。
「おはよう。ああ、あなたたち、双子だったのね!」というような具合で。
双子の数は近年ではどんどん増えているそうですし(一卵性に関してはあまり変わっていないようですが)、
当時住んでいた地域はものすごく子どもの多いところで、
出かければ必ず双子ちゃんは見かけるような状態だったので、
双子と言ってもそこまで珍しいことではないのかもしれませんが、
自分にとっては本当に衝撃的で、
天と地が引っくり返るような激震が走ったできごとでした。
今日を境に私の人生は変わったんだな、と思いました。
それくらい人生においても忘れられない日となりました。
お腹の子どもが双子と分かった時の心境―その1はこちら
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