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2015年の夏は

一生忘れられない夏となりました。

 

双子の2週ごとの妊婦健診では

毎回順調そのもので、

28週の健診では、

できれば下から産みたい、

次回の30週の健診では詳しいスクリーニング検査がある、
このまま順調なら9月中ごろ(37週ごろ)に計画分娩だろう、

などという話をしていました。

 

予定ではお盆休み頃に里帰りするつもりでした。

管理入院などになったらまめすけ(当時1歳8か月)は

大丈夫かと心配でした。

 

しかし、双子は里帰りはおろか、

次の健診を待たずして生まれてきました。

29週と4日、あまりに突然の出産でした。
前日(木曜日)からいつになくお腹が張り、

1日中安静に過ごしていました。

時折かなり痛みもあり、

受診するかどうか一晩悩んでいました。

来週の火曜日には健診もあるし、

それまで様子見でもいいのではないか。

病院に行くとなるとまめすけを母に預けなくてはならないし。

それでもたぶん、やはり何かおかしいと感じ(微量ですが出血もありました)、

病院に電話すると、念のため受診したほうがいいと勧められ、

早朝母に連絡して来てもらうことに(車で40分くらいの距離)。

 

 

最悪このまま管理入院かもしれないと思い、

まめすけが実家に泊まる準備や、

自分の入院の荷物などをまとめました。

時折身動きできなくなるほど痛みは強く、

今思えばあれはまさしく陣痛だったのでした。

 

母が車で迎えに来て、

病院に着くまでの30分ほどの間、

痛みの間隔は15分から10分、8分と確実に縮んでいきました。

救急の受付をして待っている間、

「これは陣痛だ」と気づくものの、

張り止めの処置をすればどうにかなるのだと思っていました。

20分ほど待たされ、

内診台に上がると、

「子宮口が8センチ開いている。週数を考えると全開だ。今から出産になる」と言われ、

愕然としました。

「まだ29週なんです。どうにかなりませんか?」と聞いてみるものの、

「もう陣痛が始まっているので止めることはできない」と。

 

先生があちこちに電話をかけ、

オペ室や人員の確保を急いでいました。

車いすに乗せられ、「急ぎますね」と言われダッシュ。

それからはあれよあれよという間に、

病院内を移動し、

「一度にいろんなことをしますね!」と言われ、

手術着に着替えたり、

剃毛をしたり、

点滴を入れられたり。

途中、母に電話をかけ、

「今から帝王切開することになったから、まめすけをよろしくね」と手短に伝えます。

さぞかし驚くかと思いきや、

まめすけは大丈夫だから心配するなという母の声は

逆にこちらが驚くほど冷静で、

母は偉大なりと実感しました。

 

手術の同意書は、

「形式的なものですから後でサインをいただきます」と言われ、

手術台に。

周りのスタッフの皆さんのバタバタしている様子から

自分の置かれている状況は

思っている以上に緊急事態なのだと感じました。
エビのように横を向き、

背中に注射をされてあっという間に麻酔は効き、

手術台にはりつけのような姿勢で、

いつ手術が始まったのか、

いつお腹を切られたのか、

いつ赤ちゃんが取り出されたのかもわからぬまま、

途中私の顔を覗き込んだ執刀医の先生が、

「大丈夫ですか」と声をかけてくれた顔に血が飛び散っていて、

初めて「あぁ、もう始まっていたのか」などと

間抜けに考えたくらいです。

 

1人目は8:58に、2人目は9:00に生まれました。

病院に着いて診察を受けてから実に30、40分足らずの出来事でした。
産声は聞いたのか聞いていないのか

正直記憶が定かではないのですが、

保育器に入れられ、NICUに向かう赤ちゃん(たぶん姉の方)の指に触らせてもらい、

ただただ「小さい」という感想しか出てこなかったことを覚えています。

姉は1405g、妹は1281gで生まれました。

 

翌日主治医(当日は出張で不在)から

「外で生まれなくてよかったですね」と言われ、

再び事態の緊急性に気付くことになります。

少し病院に着くのが遅れていたら。

その日病院に行くことすら迷っていたのに、

陣痛は始まっていたわけなので、

病院に着く前にお産になっていたら

双子のどちらか、

あるいは2人とも、

それどころか母体まで

命の危険があったかもしれません。

 

 

双子が2人とも元気で生まれてくれるということは、

けしてけして当たり前のことではないのだと、

文字で書いてしまうと陳腐な表現ですが、

本当にそう思います。



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